自分の大切なものを、大切にしたいブログ。

現在名古屋大学文学部社会学科3年生で、コペンハーゲン大学に留学中です。

「点取り虫のバカになるな、勉強好きの努力家になれ」①

読者の皆様へ

 

こんばんは。ブログをサボりがちだったふみひろです。コペンハーゲンの生活も残り2か月を切りました。いろいろやることが多いですが、楽しくやれているので、充実しています!

 

今回と次回は「勉強」というテーマでいきたいと思います。多くの方は「勉強」という文字を見ると吐き気を催すかもしれません(笑)。なので、このテーマを見た瞬間、読むのをやめる方がいるかもしれませんね。

 

今回と次回のポイントは、この一点に尽きます。

 

勉強は苦行であるというイメージを変えよう!

 

実際、これは難しいし、全員が全員勉強を楽しく感じれるようになれるとは思っていません。しかし、今までの僕の経験、そして日本の教育システムを見てみると、あきらかに改善の余地が残されていると思います。それについて今日は書きたいと思います。

 

 

「点取り虫のバカになるな、勉強好きの努力家になれ???」

さて、今日のブログのテーマを見た時に、何を言っているのかと思った方が多いかもしれません。この言葉は、僕が高校一年生の時の担任の先生がおっしゃった言葉です。

この先生は非常に変わっています。まず、野球が異常に好きすぎる。ホームルームで10分間先生の話の時間が設けられているとすると、大体前半の5分以上は野球の話です。そのため、事務連絡などが後回しになり、結局話が長引き、ホームルームが終わるのはかなり遅くなります(笑)。

また、この先生は現代社会を担当されていたのですが、授業の前半は野球の話でつぶれます。「読売ジャイアンツ阿部慎之助選手が三冠王を取りそうだ」とか、「杉内俊哉選手がノーヒットノーランをやった」とか、「西武ライオンズ工藤公康は優勝請負人だった」だとかです。そして、スポーツ新聞のコピーや昔の野球の記事が毎日配られます。なのでファイルがかさばります。僕は野球が好きだったので良かったのですが、好きでない人にとってはたまったもんじゃないなといつも思っていました(笑)。

 

この先生が「点取り虫のバカになるな、勉強好きの努力家になれ」ということをしきりに言っていたのです。最初、「この人は何を言っているのか」と思っていました。そして、僕は正直高校生の時にはこの言葉を理解できませんでした。なぜなら、「点を取らなければ大学にも入れないのに、なにを言っているのか」と思っていたからです。そして、勉強が好きになるなんて、そんなやつ滅多にいないだろうと勝手に思っていました。無理やり勉強を好きになろうとしても、なれるわけないと思っていました。

 

高校時代:勉強は苦行。

僕が高校生の時、勉強は苦行だと思っていました。毎日予習や復習、小テストを大量に出され、それをこなすのに苦労していました。家に帰ってあまり勉強したくなかったので、授業の間に暇を見つけたら、課題をできる限りやっていました。まあ、やらないと大学受験でも良い結果が出ないと思っていたので、なるべくサボらずやっていました。当然、喜んで、楽しみながら勉強なんかはしていませんでした。

 

大学時代:勉強面白いじゃん!

大学受験が終わり、大学に入学します。大学では、僕の勉強に対するイメージが変わりました。勉強がまあ面白いと感じるようになったのです。きっかけはマックスヴェーバーの『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』を読んだ時でした。最初、この本を読もうと思ったときは、「何この本、タイトル長いし、なんか気になるなあ」程度に感じていました。しかし、いざ読んでみると、内容は少し宗教的な細かい考えがあったりして難しかったのですが、まあ面白いと感じました。僕の中の常識が常識ではなかったことが分かったのです!僕は当初、資本主義や自由競争みたいなのは、もっと稼ぎたいという「強欲な精神」あってこそのものだと思っていました。しかし、資本主義が誕生したのは、「強欲な精神」とは真逆の「禁欲主義」であったのです!

少し主題とずれてしまうので、この話はまた詳しく書きたいと思います。

まあとにかく、大学生になってやっと勉強が苦行ではないということに気づいたのです。

そこでようやく「点取り虫のバカになるな、勉強好きの努力家になれ」の真の意図が分かりました。

 

「点取り虫のバカになるな、勉強好きの努力家になれ」の意味

高校時代は勉強好きの努力家なんて、誰に向けて言っているのか、と思っていました。もちろん、高校生に向けた言葉ではあったのですが、もう少し解釈を広げてみると、これは現在の日本の教育システム、特に先生自身が所属している高校(つまり僕の通っていた高校)に対しての批判も含まれているのではないかと思い始めました。

 

僕の経験から言うと、僕の通っていた高校はいわば「典型的な進学校」でした。予習復習を大量に出し、強制力をつけることで、学力向上を図る。受験期には「1日12時間勉強しろ」なんて言われる。その環境で褒められる人材は誰かというと、これが

「点取り虫」

なのです!点を取るために、課題をきちっとこなし、テストで結果を残す。ルールに従う。こういう人材が褒められるのです。

 

で、その先生は、これを否定していたのだと思います。

「いやいや、点取り虫でいいじゃないか。点とって、いい大学入れればいいじゃないか。」そう考えている人もいるのではないかと思います。

 

しかし、僕はこの思想に反対したいと思います。この考え方をすると、勉強の本質が本当に見えなくなる。そう思うからです。

これが顕著に表れるのは僕は社会科の科目だと思います。点を取るためなら、社会化の科目なんて、正直用語を暗記すればいいのです。論述試験を課す大学は少ないし、センター試験もマーク式です。用語を暗記すれば、テストでいい点数を取れます。しかし、そんなことをして何になるのか。「社会科なんていらない。暗記ゲーでしょ」という人はこういうポイントしか見えていないのだと思います。つまり、点取り虫視点なのです。しかし、社会科の神髄は「過去の積み重ねを通じて、現代を理解する」ということにあると僕は思います。

例えば、「なぜ南北問題のような経済格差が生じているのか」と考えた時に、そこにある背景として「帝国主義」が挙げられると思います。要するに植民地が原材料などの第一次製品を製造し、その原料を宗主国に輸出し、宗主国はその原料をもとに付加価値の高い製品を作る。こうした役割分業が固定してきたため、各国が植民地から解放された後もなかなか欧米に追い付くことはできない。こういう問題の背景をとらえることで「じゃあ既存の枠組みの中で、何をすべきか」みたいなものが見えてきます。

こういった「知識や論理に基づいた考察力」こそ、社会科の養いたい力なのではないのでしょうか。しかし、点取り虫の場合は「知識」で終わって満足して思うのです。なぜなら、それでも一応点が取れてしまうから。そうすれば高校や大学の受験もうまく行きます。そして、教師にも怒られることなく、円滑に高校生活を送れます。

 

ですが、点取り虫で得たものは受験を終えると消えてしまいます。

消えてしまうというと、何もかも覚えたことが消えてしまうという意味も含まれて少し大げさかもしれませんね。もちろん、受験で得た知識は残るかもしれません。

しかし、点取り虫で終えると、何が起きるか。

「勉強バイバイ」

こうなります。点を取り、受験を終了すると、点取り虫は「点を取る」という目標を失います。点を取るために苦行で行ってきたものを続ける意味がありません。

 

こういうわけで、勉強とお別れを告げます。

 

こう考えてみると奇妙ですよね。勉強を教えようと詰め込む学校ほど、点取り虫を育成し、勉強嫌いを育成していくのですから。つまり、勉強を教えることにフォーカスしている学校自身が、勉強嫌いを作り上げてしまう可能性があるのですから

 

結論:「点取り虫のバカになるな、勉強好きの努力家になれ」=既存の高校教育への挑戦状、そして人生への金言

「点取り虫のバカになるな、勉強好きの努力家になれ」。これは、点取り虫になりがちな生徒と、その点取り虫を養成しがちなシステムを持つ高校、この2つを批判したのではないかと思います。

点取り虫が褒められるシステムだと、言われた通りに課題をやり、点数を取る生徒が褒められます。僕自身、高校時代は点取り虫だった気がします。勉強好きなんて考えられませんでした。

しかし、その考え方がひっくり返った気がします。もっといろんなことを知りたい。そう思えるようになりました。

そして、勉強には、もちろん本を読むことも含まれますが、議論したり、現場を見たりすることも含まれると思います。そう考えると、人生勉強みたいなものです。貪欲に新しいものを吸収していきたいですよね。

 

だから、もう一度あの格言を引用します。「点取り虫のバカになるな、勉強好きの努力家になれ」。これは人生への金言かもしれません。

 

まだ書き足らない部分があるので、また次回またこの続きを書きたいと思います。

それではまたお会いしましょう。

 

ふみひろ

日本に「転職」という選択肢を。 ②転職活性化に向けて取り組みたいこと

読者の皆様へ

こんばんは。ふみひろです。日本で僕の通っている大学のある名古屋市では、もう桜が咲いているらしいです。しかしコペンハーゲンで暮らしていては、そんな感じが全くしません。

今日の最高気温は2度で、最低気温は-1度です(笑)

もうすぐ4月ですよ。なぜここまで冬が長いのか、もはや怪奇現象ですね。

今日はそんな冬が長いデンマークという国で、日本の転職活性化に向けたヒントを得よう!と勝手に考えて、今取り組んでいることを紹介したいと思います。

前回の記事では、日本で転職を活性化することの意義について書きました。その記事はこちらです。

yamafumithat2.hatenablog.com

そこで今回の記事では、どうしたら転職が増えるだろうかということを、一学生が頭をフル回転させて考えた方法を書いていきたいと思います。意見等ありましたら、お待ちしております。

今回知ってほしいことは、

①日本とデンマークの「働き方」の違い

デンマークから、転職に関してどのようなインスピレーションが得られるか

この2点です。では、記事を書いていきたいと思います。

 

1.日本とデンマークの働き方

まず初めに、日本とデンマークでの働き方を紹介したいと思います。これはあくまで「モデル」であって、全員がこの働き方に当てはまるとは限らないことに留意してください。

日本の働き方は、前回記事にさせていただきました。

yamafumithat2.hatenablog.com

要するに、一つの企業に長く務めるモデルですね。

では、デンマークはどのような働き方でしょうか。2個前の記事でも紹介させていただきましたが、重要なのでもう一度説明させていただきます。

デンマークの働き方は、「フレキシキュリティ」に代表されると思います。

フレキシキュリティという語は、「Flexible(柔軟性)」と「Security(安心・安全)」という語を組み合わせたものです。「Flexible」は労働移動の柔軟性、つまり企業は労働者を解雇したり、雇ったりするのが簡単です。そんな簡単にクビを切られては労働者も困りますので、失業している2年間は前職の90%ほどの収入を失業保険で保障され、その間ジョブセンターでの求職活動や職業訓練に従事してスキルを磨きます。つまり「Security」がある、いざという時も安心して生活できる構造になっています。こうして次の就労への準備をし、実際に新たな職場で雇われていきます。

つまり、日本が一つの企業に長く務めるのに対し、デンマークでは企業を転々としながらキャリアを積んでいきます。デンマークでは転職が盛んであることを意味しますね。

 

2.転職を活性化させるための2つの方法

僕は前回の記事では、転職という選択肢を増やすことの意義について述べました。だから、デンマークの転職盛んなモデルを日本に輸入すればいいではないか、と考えられるかもしれません。しかし、このような仕組みのデンマークのキャリア観をそのまま日本に導入して転職を活性化させよう!と考えても無理です。実際、フランスでは、デンマークモデルを導入しようとして失敗しました。フランスも日本同様、比較的一つの企業に長い間務めるモデルです。このような国でフレキシキュリティを導入すると、実は労働者から強い反発を食らいます。なぜなら、フランスでは労働者が重点を置いている価値として、「雇用を安定的なものにしたい」と考える人が多いからです。つまり、デンマークのように解雇しやすい環境では、同じ会社に長い間務めるという保証を得られません。それを嫌ったのです。ずっと安定して働きたい、そうすれば家族も安定して養っていける。このような価値観が勝っているのです。だから日本のように、安定して同じ会社で働き続けたいと考え、年功賃金の恩恵でずっと同じ場所に留まり続けることが有利な環境にデンマークモデルをそのまま導入しても、フランスで失敗したのと同じ現象が起きます。

では方法はないのかというと、そうでもないと思います。転職を活性化させるためには、僕自身大きく分けて2つのアプローチがあるのではないかと考えました。もちろん、他にもアプローチがあると思いますが、デンマークからインスピレーションを得ることができる部分という意味で、以下の2つにフォーカスします。

 

1.企業にとって魅力的な人材を増やす

まあ当たり前ですね。企業が雇いたいと思う人材がその企業に応募すれば、採用される確率は高いですよね。そんなこと口で言うのは簡単ですが、じゃあ実際どうすれば企業にとって魅力的な人材が増えるのかという話になります。

そこで僕が着目したのは職業訓練です。上記デンマークモデルを見てもわかるように、職業訓練が次の就労へのカギとなっています。2005年には、デンマークの人口541万人中,61万7000 人がAMU職業訓練センターのコースを受講しています。つまり、ジョブトレーニングがかなり多くの人口に提供されているのです。そこで、デンマーク職業訓練の内容と、訓練で向上したスキルがどの程度転職活動に、また転職後の職に貢献しているかというポイントを調査したいと思います。トレーニングには、ジェネラルなスキル(例えば、プログラミングの使い方など)にフォーカスしたものと、実践型のもの(例えば、実際にインターンシップという形で、企業で業務をこなして経験を積む)があります。日本においても職業訓練は行われていますが、規模が違います。これを日本においてどの程度導入できるかを、実際にデンマークで調査を行っていきたいと思います。帰国後は、日本の職業訓練などの取り組みも実際に調査し、デンマークのものと擦り合わせていきたいと考えています。

こうして労働者がスキルを向上させ、就労に結びつく環境が整うならば、企業にとっても転職によって人材を獲得しようという気になります。これがうまくいけば、企業も中途採用にさらに注目するようになるのではないかと勝手に考えています。

2. マッチング機能を高める

突然ですが、みなさんAirbnbはご存知でしょうか。このサイトでは、利用者は地域や部屋の大きさを選択し、多様なプランやホストの評価を参考にしながら、自分に最適な宿を見つけて予約を申請します。ホストも今までのゲストの評価や希望日時を参考にして、ゲストを受け入れるか決定します。いわば、2人の利害が一致した時、この契約は成立します。これが「マッチングサービス」です。

これは転職にも同じことが言えます。転職希望者と受け入れ企業側で利害が一致すれば、転職は成立します。そのいわばマッチング機能を高めるには、マッチングの「量と質」を高めることが大事であると考えます。

「量」は、要するに転職希望者がより多くの企業を、受け入れを希望する企業がより多くの転職希望者を把握するようなシステムです。選択肢が増えれば増えるほど、双方の利害が一致する確率は増え、転職に結びつきやすいと思います。

「質」は、転職希望者と企業が、より欲しい情報を効率よく提供することです。ただ量を拡大するだけでは、互いに大きな労力を割いてしまいます。できるだけ集約された情報であれば、そのように時間をかけずにマッチングさせることができます。

この機能を担っているのは、広告、転職情報サイトなど色々ありますが、デンマークで着目したいのは「公共職業安定所(日本でいうハローワーク)」です。

一般的に、高度なスキルを持つ人材は、民間の転職エージェントを使って転職します。このエージェントを使うと、報酬が高いので、そこまで収入を持っていない人には使いづらいです。しかし、公共職業安定所は万人に開かれており、無料で利用できます。その公共性から情報やサービスの質などが懸念されますが、職業安定所の職務はマッチングだけでなく、実際に面談を行い、これからの就労に向けた計画立案を支援したりすることもあります。

デンマークでは、転職が盛んであり、公共職業安定所の職務も必然的に重要になってきます、そこで全労働者のマッチングに向けて、どのような取り組みが行われているのか。またそのような機能を日本にも輸入することが可能か、などを研究することで、日本の全労働者に対するマッチングの「量と質」の向上が可能になるのではないかと考えています。

 

以上が転職活性化に向けた2つのポイントで、これからデンマークで研究したいと思っていることです。しかし、懸念が一つあります。それは、4月に公務員のストライキが起こるかおしれないということです。何でも昼食代をタダにしろ、というので起こすそうです。

「おいおい勘弁してくれよ」

というのが本音です。日本だと公務員のストライキは法律で禁止されていることを考えると、デンマークの労働者の権利は強いです。なのですごくおもしろいなとは思うんですが、4月に関係各所をまわってインタビューしたいなと考えていた僕にはショックです。生活も不便になりますし。

まあそれは置いといて、今回の記事では、日本に転職という選択肢を増やすために僕が今やりたいと考えていることについて書きました。ポイントは、①企業にとって魅力的な人材を増やすというのと、②マッチング機能を高めるということです。英語にも少し慣れてきたので、これからどんどん活動して、インタビューしていきたいと考えています。

それではまたお会いしましょう。

ふみひろ

 

参考文献

樋口美雄、児玉俊洋、阿部正浩他(2005)『労働市場設計の経済分析』東洋経済

ロベールボワイエ(2016)『作られた不平等』藤原書房

藤川恵子(2008)「日本版フレクシキュリティ構築への課題 ―転職と多様な働き方を支援する労働市場政策―」『Works Review Vol.3』pp.1/14~14/14 リクルート研究所 https://www.works-i.com/pdf/r_000077.pdf

 

日本に「転職」という選択肢を。 ①僕が転職にかける理由

読者の皆様へ

 

こんばんは、ふみひろです。今回は僕が一番研究したいと考えている「転職」についての記事を書きたいと思います。

僕は海外に来て、日本のすばらしさを再確認できましたし、感謝しています。けど、日本はもっと良い国になるべきであると思います。しかし、現在の労働市場の仕組みを見ていると、日本人は幸福を追求することをあきらめざるを得ない形になっています。そんな日本に「転職」という選択肢を増やすことがどれだけ大切なことか、この記事を通じて知っていただけると、すごく嬉しいです。

今回知ってほしいことは、

①日本は国際比較上「転職」という選択肢が少ない社会

②僕の考える「転職」の意義

この2点です。「心は熱く、頭は冷静に考える」ことを心掛けました。それでは、早速内容に入っていきたいと思います。

1.日本の労働市場について

転職について書く前に、まず日本の「会社」の構造がどうなっているのかを見てみたいと思います。これをベースに考えます。

日本の企業は特に大企業で、中途採用よりも新規学卒者中心の採用を行っています。年功賃金をインセンティブとした長期雇用を前提とし、多くの企業で入社後に新規学卒者を育成していこうとする考えが根強いです。新規学卒者は若いため、訓練後の期間が長く十分な能力を発揮できるし、その育成される能力も事後内容に合ったものにすることが容易です。人事配置に関しては、内部労働市場、つまり企業内での配置転換が多く、企業外からの人材を獲得するケースが少ないです。そのため失業者や、出産・育児というライフイベントを控えて一度労働市場を退出した女性は、再び正規雇用としてではなく、非正規雇用として採用されていきます。

つまり、「年功賃金(勤続年数が増えれば賃金も高くなる)を採用した長期雇用」を前提とした「新規一括採用」を行い、「OJT(オンザジョブトレーニング)」によって会社が人材を育成し、欠員または新しい部門を作る場合には、「会社内の人間を人事配置する(=ジョブローテーション)」によって人員配置を転換するわけです。これを濱口桂一郎さんは「メンバーシップ型」(労働者同士が家族のように、若手を育て、チームになって助け合う仕組みが由来)と名付けました。もちろん、企業にはいろんなタイプのものがありますが、これがいわゆる典型モデルで、日本に多く存在します。

 

2.日本の転職について

日本の労働市場について書いたところで、「転職」について扱いたいと思います。「転職」とは、要するに「ある企業から他の企業に移る」ことです。上記の日本の仕組みを見て気づいたかもしれませんが、日本は構造上、特に大企業で「転職が起こりにくい」国なのです。企業は欠員や新たな職を作る際に、他の企業から人員を募集するのではなく、会社内の配置転換で人員を補充します。つまり、外から募集する必要がないのです。そこで企業は従業員に新たな経験を積ませていき、多様なスキルを身に着けた「ジェネラリスト」に仕立てていきます。やり方はもちろん企業の方針に沿うので、企業が育成したいように育成します。

そうすると、企業は中途採用する必要はあまりなくなります。つまり、たとえ転職しようとしても、中途採用の募集が少なく、転職という選択肢が自然と増えにくいのです。また、年功賃金という仕組みによって、同じ企業に勤めておけば自動的に賃金が上昇するので、賃金面でわざわざその会社を離れる意味がなくなります。

転職の例外は、高度なスキルを身に着けた労働者の転職、もしくは派遣やパートタイムの雇用の保護の少ない「非正規雇用」の2つです。この2つは日本でも頻繁に起きていると思ってます。

 

3.転職の意義

では、なぜ転職に注目したのか。僕は転職という「選択肢を増やす」ということを主張したいと思います。今の日本社会の構造では、年功賃金であったり、中途採用が少なく、転職したくてもしにくい状況になってます。つまり、「転職」という選択肢が、多くの労働者にはないのです。「別に日本の社会は転職多くなくても回っているのだから、いいのではないか。」そう思う人がいるかもしれませんが、僕は違うということを主張したいです。その理由は6個もあります!僕にとってどれも重要なものなので、全部読んでいただけると嬉しいです。

 

理由① 転職で天職

何ダジャレを言っているのだと、思った方いるかもしれません。しかし、僕は日本語で「転職」と「天職」が同じ発音を持つということはもはや奇跡なのではないかと感じています。

転職は、やりたいことを実現するチャンスを増やしてくれます。つまり、他の企業で職を募集していて、もし魅力的な求人が見つかれば、それに乗っかり、職を変えることで、より自分の可能性が高まります。

転職という手段によって、自分にとっての天職にたどり着ける確率が増えるのです。

 

理由② 今の日本人は本当にやりたいことをやっているのか?

労働は本来社会に貢献する名誉あるもので、喜ばしいものであると思います。僕も働いて、もっと善い人間になりたいと感じています。しかし、今の日本を見ていると、そんなこと思っている人がどれだけいるか、と感じてしまいます。自分のやりたいことやってる人、意欲に満ち溢れた人がこの世の中にどれくらいいるのでしょうか。もちろん、働くことだけが人生のやりたいことではないと思いますが、「労働」というのは、一日の生活の大半を占めるものです。もし転職という選択肢がないあまり、企業の奴隷になり、要求をすべて飲み込み、働くことに喜びを得られなくなったら、それはばかげていると思いませんか?なぜ組織とかいう見えないもののために生きなければならないのでしょうか?僕は、人生を決めるのは自分自身であるべきだと思います。

もちろん、同一企業で生涯勤め上げることは素晴らしいことだと思います。しかし、それは本人がその企業に心の底から貢献したいと思っていればの場合に限ります。自分の本心でないのに、生涯同一企業で務めることに励むなら、それは自分の人生台無しにしてしまっている気がします。そんなことしても、社会にとっても機会損失です。そんな労働意欲で働かされるより、もっといい環境でガツガツ働く方がより付加価値を生み出すに決まってます。こう思うのは僕だけでしょうか?

だから、転職という選択肢を増えれば、より自分の人生を豊かにするチャンスが高まるのではないかと考えています。

 

理由③ 「転職」というカードが労働者の地位を向上させる

転職というカードがあることによって、労働者の権利が向上すると思います。経済学者アルバート・ハーシュマンによれば、労働者がその企業をいつでもやめることができる環境にある場合、企業が賃金なり労働環境なりで悪条件を提示すると、労働者に「退出」されるため、企業は好条件を提示すると提唱しました。しかし、今の日本の「一般的」な労働者に「退出」という選択肢はありません。

ここでいう「退出できない」とは、もちろん退出しようと思えばできますが、退出にメリットを感じないからできない、という意味です。なぜなら、その企業をやめても、上述してあるように、中途採用労働市場が小さく、本人にとって好条件の雇用条件が少ないからです。さらに、年功賃金の制度があると、とどまっておけば自動的に賃金が上昇するので、わざわざ退出する必要がなくなります。さらにさらに、多くの労働者には養う家族がいます。そうすると、「退出」するよりとどまるという選択肢が合理的になります。

そうすると何が起きるか。サービス残業長時間労働といったものが受け入れられてしまうのです!労働者は「退出できない」ため、ある程度悪条件を受け入れても仕方ないと考えてしまいます。昔は企業福祉も整っており、企業への忠誠心を労働者は高く持っていたので、こういったことは今ほど問題視されませんでしたが、今の時代にそんなこと感じている人が何人いるのでしょうか。サービス残業長時間労働をもし労働者自身が進んで受け入れているなら、僕は素晴らしいと思いますし、将来僕もそんなことを気にしないで没頭できるような職につけたら、本当に天職だと思います。しかし、家庭を持ったら家事や育児もしたいですし、多くの労働者は不本意サービス残業長時間労働を受け入れている気がしています。だから悪に感じてしまうのです。

さらに、仕事と子育てや家事を両立しようと奮闘する女性の正規労働者を考えてください。長時間労働が継続すれば、オーバーヒートしてしまうと予想できませんか?だから、多くの女性正社員労働者はやめてしまうのです。そんな従業員がもし働き続け、犠牲になれば、社会に貢献するという使命を掲げているはずの企業が、一番身近な従業員という人たちの人生を台無しにしてしまっていることを意味します。なんと皮肉なことではないでしょうか。

ことわざに「善良な市民が沈黙する時、悪がはびこる」というのがあります。善良な市民が声を上げなければ、サービス残業長時間労働といった悪ははびこるのです。しかし、その会社から退出できない労働者は、上司からの評価や自身の昇進を気にし、声を上げることができません。声を上げるためにも、転職という代替選択肢を用意し、労働者を強気にすることが有効なのではないのでしょうか。

 

理由④ 女性労働者にとって再チャレンジできる社会へ

 

現在、日本政府と企業は「働き方改革」を進められています。労働力不足が見込まれる中、より多くの女性に働いてもらおうと、女性の仕事と育児を両立させる環境の整備が進ているのです。もちろん、「育休」という制度があります。一般の労働者なら1年、公務員なら3年取れます。さらに「時短勤務」、つまり自分の子どもが小さい時には、女性労働者は早く帰宅できる制度もあります。しかし、多くの女性は、それでも育児の時間を十分に確保できないと考えます。民間の育休は1年、つまりまだ子供は1歳なわけで、それで働きに行くのは不安です。実際、育休取得後の退職率はかなり高いのが現状です。時短勤務を利用しても、育児の時間が不十分になってしまうと考える人は多いです。そこで、女性は正規雇用への道をあきらめます。

もし、お母さんが一度会社を辞めて再び働きたくなったら、どうなるか。多くの人はパートタイマーになるのです!そちらの方が、子供との時間も確保できるからです。特に日本の正規雇用は労働時間が週43.8時間(もちろんサービス残業はデータに含まれていない)と、世界的に見ても上位の長さなので、そこで働こうという気になる人が少ないのです。

ただもし再び正規雇用で働きたいと思う人がいたら、どうなるのか。これが現状難しいのです。なぜなら、正規雇用中途採用が少ないからです。正規雇用の転職という選択肢が増えれば、この層をカバーできるのです。もちろん、正規で働きたくない人は、正規雇用という選択肢を取らなければいいのです。この選択肢があることで、特にシングルマザーの方にとっての最善の選択肢というものが増えると考えています。

 

理由⑤ 少子高齢化社会が味方してくれる?労働者の時代へ。


現在、少子高齢化社会で労働力人口の不足が懸念されています。つまり、高齢化で団塊世代などがどんどん引退し、少子化でこれから労働者になる人が少ない分、働き手が少なくなるのです。こうして、企業内の人材が不足すれば、企業は労働者がもっと欲しいと思うようになるわけです!実際、今年の有効求人倍率も労働者にとても有利な水準であり、この傾向はこれからさらに続くとみています。労働者が職を変えようとしても、企業からの求人がなければ徒労に終わってしまいますが、今は企業が人材を欲してるため、転職に追い風です。さらに、働き方改革長時間労働削減を目指す企業は、人材を増やすことで社員一人の負担を減らそうとしています。そのことも転職にはプラスに働き、求人が増えれば、労働者がより職を選べる環境になります。

理由⑥ 企業にとってもメリット

これまで労働者に主に焦点を当ててきましたが、企業にもメリットがあります。欲しい人材を自社内だけでなく、会社の外部からも調達できるチャンスが増えるので、人材の候補者が増えます。そうすれば、成長部門により多くの人を増やしたりできるわけです。それが、企業の成長につながるのではないでしょうか。

 

 

以上が僕が転職にかける理由です。僕はあくまで「転職という選択肢を増やす」という立場です。絶対転職しろとは言わないですし、今の仕事が自分にとっての天職なら、変える必要もありません。ですが、そう感じていないのに、とどまり続けなければならないのは、おかしいと思ってしまいます。だから、「会社にとどまる」or「転職」の選択肢をより多くの人に用意していく必要があると感じています。

では、どうすれば転職が盛んになるのでしょうか?転職は「万人」に開かれるべきだという立場から、高度なスキルを持つ労働者だけの動きにしたくありません。それを考えるうえで、「デンマーク」という国は非常に参考になるのです!そのあたりはまた次回ブログに書きたいと思います!

それでは、またお会いしましょう!

ふみひろ

 

参考文献

濱口桂一郎(2015)『働く女子の運命』文春新書

ハーシュマン(2005)『離脱・発言・忠誠―企業・組織・国家における衰退への反応』矢野修一訳、ミネルヴァ書房

独立行政法人労働政策研修・研究機構, 2017, 「データブック国際労働比較2017」

コペンハーゲン大学に留学する理由

f:id:yamafumithat2:20180311215327p:plain


読者の方へ

ふみひろです。コペンハーゲン大学に留学して、7か月半が経ちました。今回は、コペンハーゲン大学、つまり、デンマークに留学する理由を書きたいと思います。

 

今回の記事の目的は、

①僕がコペンハーゲン大学に留学している理由をより知ってもらいたい。

②これから留学する人、特に志望動機で悩んでいる人に対して、少しでも参考になる部分があれば良いなと思う。

③こんなに適当な僕でも何とかなったから、皆安心して!大丈夫!

の3点です。

志望動機を作るのは大変ですが、重要です。そこで、一個人の例として、参考にしていただければと思います。

それでは、書いていきたいと思います。

 

まず、僕は中学、高校の時から「留学したい」と思っていました。そこに深い理由はありません。ただ、「今とは違う生活してみたい」「自由に暮らしたい」「海外経験は必ず人生の役に立つ」というぼんやりとしたものでした。

 

そこで、大学を選ぶ際も、国際系の学部に生きたいと思っていましたが、名古屋大学の文学部という、国際とはあまり関係ない学部に入りました。その経緯については前の記事を参照ください。

yamafumithat2.hatenablog.com

 

さて、こうして名古屋大学に入学したわけですが、正直一年の時、留学は何も準備していませんでした笑

「まあ、3年生の秋から留学したいから、もうちょい後で準備すればいいか。」

こんな感じです。

で、2年生の4月時に、3年生の秋からで留学したいなら、2年生の10月ごろに英語のテストの点数を提出し、留学の志望動機を決めないといけないと知りました。えっ、早く準備しないと、と焦りました。

勝手な思い込みにより、情報収集をしていなかったことがあだになりました。

で、4月から準備を始めます。それまでスピーキングは一切取り組んだことがありませんでした。まあ英会話教室に週一回通い、瞬間英作文を始めたわけです。今回は留学志望動機についてフォーカスするので、また語学学習については後ほど記事に書ければと思います。

そこで、僕はどこの国に行きたいのか?考えました。最初出た答えは、

「オーストラリア」

f:id:yamafumithat2:20180314014420j:plain

でした。なぜかと言えば、治安もいいと聞いていたし、グレートバリアリーフや野生の動物など、自然豊かで楽しそう!と、あこがれていたわけです。

その願望は夏まで続きましたが、何が問題だったかというと、

「やりたいことないなー」

です。オーストラリアに行って特別「これをやりたい」というのがあまりなかったのです。

社会学をやっていたので、先住民に関しての切り口から志望動機作れるんじゃないかと思ってましたが、どうも自分が納得できるものが作れませんでした。

 

そこで、夏になってまた交換留学先を見て、考え直します。何が目に飛びついたというと、

ミネソタシンシナティ、フロリダあるじゃん!」

です。もしかしたら気づいてる人はいるかもしれません。そこで、それで何を考えたかというと、

「アメリカ行けば、メジャーリーグみながら英語も練習できるじゃん」

f:id:yamafumithat2:20180314015106j:plain

です。ミネソタはツインズ、シンシナティはレッズ、フロリダはマーリンズの本拠地です。いやー、僕の思考は実に単純ですね!神戸大学行きたい理由は「甲子園あるから!」、アメリカ行きたい理由は「メジャーあるから!」と。

けど、今回はそれだけじゃありません。アメリカは社会学の総本山の一つ、数多くの面白い研究が出ていると理解していたので、それはアカデミックな理由にもつながると思ったのです。そのころ、不平等について興味があり、アメリカの人種差別の研究はどうなっているのかという切り口で行こうとしました。

これで完璧です!不純な動機も、アカデミックな理由でカバーできます。「やっぱアメリカ行くしかないっしょ。」そんな感じの思い込みで凝り固まっていました。そこでアメリカ以外の志望校を調べるのはやめました。締め切りの10日前くらいに志望大学をがらりと変えるとも知らずに。

 

こうして、IELTSも留学受け入れギリギリの点数を取り、点数と相談しながら、シンシナティにでもしようかなと考えていました。授業に関しても、まあまあ社会学の授業は充実していたので、それで人種とか、国際開発とか勉強したいと、そういう形で応募しようとしていました。

 

しかし、人生何が起きるかわかりません。その頃の僕に「お前一年後デンマーク行ってるよ」と言われても、多分信じなかったと思います。

 

人生の転機は基礎セミナーという授業で訪れます。この授業は本来1年生で単位を取り終えているはずですが、めんどくさかったため、2年生で取ることにしました。なので、周りほとんど1年生です。

どういう授業だったかというと、簡単に言えば「留学についてもっと知って、準備しよう」というものでした。

そこで、交換留学の協定先の大学について1人1校調べてきて、プレゼンするという回がありました。僕は、アメリカのシンシナティに行きたいと教授に行っていたので、シンシナティ大学が割り振られ、プレゼンを行いました。

その回では、いろんな国の大学について生徒が発表していました。アメリカと決めていた僕だったので、そのプレゼンも自分の留学先を選ぶために聞く、という意識で聞いていませんでした。

聞いている中で、「オスロ大学」というのがありました。最初聞いた時、「オスロ大学かー、寒そうだな―」と感じただけでした。しかし、冷静になって、ふと思いつきます。

「待って、北欧良いんじゃないか!!!」

今まで見向きもしませんでした。その頃、僕は調査実習で「ワークライフバランス」について取り組んでいたので、北欧について微妙に魅かれていました。こんなシステムの国があったらいいな、みたいに、僕のユートピア的な感じで思ってました。北欧なら、長時間労働とか、自殺とかのない世の中になるのに、と感じていました。

そこで考えを改めます。アメリカに行くより、そういう国で暮らしてみる方が絶対いい経験になると感じました。

さて、家に帰ってリストを見直します。協定校の北欧の大学の中で、一番惹かれたのが、

コペンハーゲン大学

です。その理由はいたって単純。なぜかというと、

デンマークって、北欧でも南の方だから、そんなに寒くなさそう!」

です。僕は今北欧に来ているのに、寒いのがめちゃくちゃ嫌いです。夏の方がまだましだと思っています。なので、寒さのマシな南にあるコペンハーゲン大学が良いと思いました。その時は、「北欧ならどこも似たり寄ったりじゃん、なら一番暖かいところ行こうよ」と思っていたのです。

 

さて、デンマークについて調べます。日本にはない面白い制度がたくさん見つかります。しかし、他の北欧の国の協定校と差別化ができません。たとえば教育無償とか、医療費タダとかは、他の北欧諸国でも一緒なのです。しかし、寒い場所にはいきたくありません。

 

困ったのでゼミの教授の下に相談に行きます。デンマークに行きたいと思い始めたのは、提出書類の締め切りたった10日前だったので、焦ってました。それでもよく教えてくださりました。国際比較の専門家なので、デンマークについてもよく知っていました。デンマークなら、「フレキシキュリティ」について書いたらどうかと勧められました。

 

フレキシキュリティとは、「ゴールデントライアングル」とも称される (1) フレキシブルな労働市場、 (2) 失業者に対して手厚い給付を行う失業保険制度等[5]、(3) 失業者の技能向上を目的とした職業訓練を伴う積極的労働市場政策の3つの密接な相互連携からなるデンマーク特有の体制の下での「雇用の保証(employment security;同一企業内の雇用保証ではなく、職業訓練など活性化施策と密接に関連した手厚い失業給付を基盤とした切れ目のない雇用の場の確保)」を指す。(www.jil.go.jp/column/bn/colum072.html)

 

長ったらしいし、分かりにくいので、かみ砕いて説明します。要は、解雇規制が緩く、経営陣は労働者を解雇しやすいが、失業した人は豊富な失業手当を受けながら、職業訓練スキルアップすることで、またほかの企業に雇ってもらえる、という仕組みです。これをすると、経営陣は必要な分の雇用量を考えればいいから、必要なくなったらクビにすれば良い、ということができます。例えば、AI化でライン作業みたいなのに人がいらなくなったら、クビを切れるのです。そこで労働者は失業しても、失業手当で生計にしばらくは困りません。そして、職業訓練して、例えばコンピュータースキルを身に着ければ、コンピューター関連の仕事をゲットできるチャンスが増えます。そうして次の就労に結びつけば、労働者自身キャリアアップにつながります。多くの雇用を必要としている、付加価値の大きい成長部門に雇われるからです。付加価値の大きい人材には、それなりの報酬が払われます。例えば、今の情報化社会なら、コンピュータースキルをもった人材が人気です。こうして労働市場全体でみれば、「要らない部門を削って、必要な部門に人材を移動させている」、つまり衰退部門から、成長部門への人員シフトです。そのため付加価値が高まり、経済成長を遂げていきます。

 

つまり、このモデルでは、「労働者も、企業も、国もある程度の恩恵を受けている」という構造になります。労働者は、解雇されやすいが、失業手当で生活が保障される。企業は人材の「適材適所」が可能になる。国としては経済が成長し、国力が高まる。

 

これを知った時、

「こんな面白い仕組みがあるのか」

とすごく感激しました。そのころまで、国の経済成長にフォーカスするなら、アメリカみたいな政府がほとんど介入しない自由主義、皆平等に暮らしたいなら北欧みたいに福祉最強国家、と考えていて、「自由」と「平等」は両立不可能ではないかと思っていました。

 

しかし、この常識は崩れました。「二兎を追う者は一兎をも得ず」と考えていた僕には衝撃でした。そこで、アメリカ留学は完全に頭の中から消え去り、「デンマーク行こう!」と思ったのです。

 

志望理由では、「デンマークフレキシキュリティを研究したい!」と書きました。しかし、次なる口頭面接でこう聞かれたら終わりだなと思いました。

フレキシキュリティについて研究したところで、何になるの?」

この問いには二つの意味があります。

①日本とデンマークでは国の制度が違うから、それを学んだところで、日本に生かせないじゃん。というものと、

フレキシキュリティについてやったら、今後あなたの人生何か変わりますか?という意味です。

 

まあこう来たら困りますね。「別に留学なんだから、やりたいことやらせてくれよ」と嘆きたくなります。自分の将来につなげるのとか難しいじゃん、と思ったわけです。

しかし、選考で勝たなければいけないので、こういうのも回避しなければいけません。留学行きたい方にとって、僕の考え方を参考にしてもらえるとうれしいです。要は自分で突っ込みを入れるのです。「なぜ?」「意義は?」「どうやってやるの?」こうして自分の考えをブラッシュアップしていきます。

まず、①に関して、僕は考えました。フレキシキュリティのキーワードは、簡単にまとめると「解雇されやすいが、中途採用で雇われやすい」「手厚い失業手当」「職業訓練」です。最初の二つは厳しいと思いました。解雇要件に関して、もし無期限の雇用を確実に保証してくれている今の日本の社会で労働者を「いつでも解雇できます!」と言ったら、社会はどうなるだろう。想像しただけで無理だと思いました。失業手当は、ただでさえ社会保障関係費のかさばっている日本で、これ以上失業手当に費やすことはできません。そこで残ったのが「職業訓練」です。

日本で公共の職業訓練とかは、あまり聞いたことがありませんでした。一応ありますが、デンマークとは規模が違います。日本はOJTで企業が労働者のスキルアップの担い手だからです。

しかし、この職業訓練を日本の民間でもっと応用することができるのではないかと考えました。公共の職業訓練だと、訓練を国がすべて負担しなければなりませんが、民間でやれば、民間に対するインセンティブだけで済みます。また、日本の人材育成の担い手は企業なので、企業はそういった部分でのノウハウを蓄積しています。そして、失業者であろうが、ほかの会社に雇用されていようが、これを民間の企業で行えるようにすれば、労働者にとってさらなる可能性が増えます。そして、訓練を担う企業も、インセンティブをもらえますし、新しいビジネスの可能性になるかもしれません。さらに、そういった「インターン」的なところから、人材発掘につながるかもしれません。

 

これだ!と思いました。これをデンマークでもっと調べて、応用できる部分があれば日本でも生きてくる、と。

しかし、②それが自分の人生の何になるの?という問題が残っています。

 

そこで、もう無理やりでっち上げました!(留学センターの方には内緒でお願いしますね。)つまり、こういう民間企業で人材育成を行えるように、市役所や県庁、もしくは厚労省で働きたいと。そうすることで、人材交流が盛んになり、それが新たな価値を生み出すと、力説しようと考えました。

 

これで解決です。あとは、堂々と質問に答えました。しっかり準備したおかげで、あまり緊張もしなかったです。

 

そして、晴れてコペンハーゲン大学行きが決定しました。

 

人生何が起きるかわかりません。大事なことは、あらゆる可能性に耳を傾けることだなと実感しました。そんな可能性はない、と思いこんでいても、実はそれが自分の本当にやりたいことだったりします。デンマーク行きを決めたのは、書類の締め切りたった10日前でしたが、上手くいき、今デンマークにいます。

 

そして実際僕はデンマーク労働市場にすごく興味を持ち、それを日本に還元したいと、今は心の底から思っています。また、そのことについては記事にしたいと思います。

 

文章長くなってしまいましたが、ここで終わりたいと思います!それでは、またお会いしましょう!

ふみひろ

 

僕自身の進路と名古屋大学文学部社会学専攻の魅力について

読者の方へ

ふみひろです。早速ブログを投稿したいと思います。

僕は現在名古屋大学文学部社会学科というところに所属しています。皆さんには、この記事で

1.僕が進路に関していかにいい加減な選択をしてきた、いい加減な人間であるかということ。

2.けどその選択は間違ってなかった、むしろいい選択だったという点。

3.名古屋大学文学部社会学専攻の魅力。

について知ってもらいたいと思います。

 

僕は中学の時から、大学では留学をしたいと思っていました。単純に海外で生活してみたい、日本を飛び出して自由になりたいと思っていました。

 

そして高校では、大学の進路選択の際も留学のことを考えます。最初、神戸大学を僕は志望していました。神戸大学には、国際関係学部というのがあり、留学プログラムもしっかりしてそうだったことも大きかったです。

しかし、それなら他の国際系の学部がある大学でもいいじゃないか。

その通りです!僕が神戸大学に行きたかった真の理由は、、、

 

「兵庫には甲子園があるから」

 

です。僕は大の野球ファンで、阪神ファンです。父が兵庫出身で阪神ファンなので、その影響を受けました。そして、球場に通いまくるのが夢でした。現在留学中ですが、留学に行く前も何を懸念していたかというと、「野球見れんくなるやん」です。

さらに、神戸という港町には、異人館があり、外国の文化も入ってきて、おしゃれだな、とずっとあこがれてました。

こうして学業面での動機と不純な動機を持ちながら、神戸大学に行きたいと思っていました。

 

しかし、大学2年の終わり頃、親は気づいてしまいます。

 

神戸大学って、地元の名古屋大学と偏差値変わらんやん」

僕はその事実を頑張って隠そうとしてましたが、バレました笑

名古屋大学には、外国語系の学部がないから、と反論を試みましたが、「旧帝大だからある程度整ってるじゃん」とパンフレットを見せながら反論されました。

奨学金を借りれば神戸大学を目指すこともできたと思うし、一人暮らしもしてみたかったのですが、その頃はあまり深く考えず、「まあ近くでいっか、甲子園は行きたいときに行けば」と思ったのと、高校が愛知県にある公立校であったため、名古屋大の対策に重点を置いていることもあり、名古屋大を目指し、名古屋大学に入学することができました。

今考えると、なかなか間違った選択ではなかったと思います。あまり後悔もありません。授業料も安いですし、下宿代もかからないので、親への負担が少ないです。今では最高の親孝行であったと勝手に自負しています。さらに、今の大学のプログラムに満足していますし、同じ学科の仲間も大好きです。この点はまた後で詳しく書きます。

 

名古屋大学では、文学部を選びました。「国際系の学部はないし、経済学部は数学使いそうだから嫌だし、法律とかももしやりたかったら自分で勝手に勉強すればいいや。」そんな感じの消去法で、全く深く考えていませんでした。

文学部は、2018年現在では20個以上の専攻があります。そのころ僕は新聞記者になりたいと思っていたので、社会学という分野に興味を持ちました。なので、専攻を決めることには困りませんでした。

しかし、うちの学部では、このような噂が流れていました。

 

社会学はブラックだからやめとけ」

 

これは、僕が「何専攻するの?」と聞かれて、「社会学」と答えるたびに言われました。ただ、この点に関しては、そうでもないと思います。少しやることは多いかもしれません。しかし、教授からアカデミックハラスメントを受けたりとかはないですし、僕は留学の準備、留学費用を稼ぐためのバイト、部活と社会学を両立できましたし、そこまで深く考える必要はないと思います。

 

ブラックブラックと同級生、上級生が宣伝しまくった結果、それまで学部の中でも随一の人気を誇っていましたが、社会学専攻に入ってきたメンバーは、同学年では6人のみでした。

こうして不安の中入った社会学専攻ですが、これは僕にとってかなり大きな人生の転機でした。大学入る前は、勉強なんか嫌いだし、これから使いもしないことをやって何になるんだという偏見で凝り固まっていた僕でしたが、勉強が好きになりました。今までなんで大して本を読んでこなかったのか、自分の意見を考え、発信してこなかったのか。かなり反省しています。どんどん新しいことが見えてきて、どんどん知りたい、そして発信したいと思うようになっていきました。

話を戻しますね。まず、2年生で社会学科に入る前の春休みの間に、本を2冊読んで、感想を書けという課題が出されました。本は文献リストが渡され、その中から選んだのですが、僕はマックスヴェーバーの「プロテスタンティズムと資本主義の精神」(プロ倫)とマルクスエンゲルスの「共産党宣言」を選びました。社会学について何も知らなかった僕は、前者は単純にタイトルが長くて気になったから、後者は本が薄っぺらくて一瞬で読めそうだったから、という理由で選びました。このプロ倫との出会いのおかげで、一気に本を読むのにはまった気がします。何が変わったかというと、僕の中での常識が、常識じゃなくなって行ったのです。プロ倫については、また今後書きたいと思います。

 

というわけで、社会学専攻の生活がスタートしました。ここからは名古屋大学社会学専攻の魅力を伝えていければと思います。基本的に2年生の主なタスクは、「調査実習」と「ゼミ」です。調査実習では、僕たちは「ワークライフバランス」というテーマで行いました。名古屋市の企業に、仕事と家庭の両立を目指すために、実際に女性社員に対して行っている取り組みをインタビュー調査で調べ、さらに名古屋市の子育て事情を調べるために、名古屋市が発行したアンケート調査を統計ソフトを使って分析するということを行いました。ゼミでは、各教授によって課題文献が設定され、それを読んできてディスカッションするのと、自分で研究テーマを決めて、構想を発表するというのが主なタスクです。

「調査実習」と「ゼミ」を通して、かなり成長できたと思います。細かい内容については、また後でブログに掲載したいと思いますが、具体的に何を成長できたかを書きたいと思います。

「調査実習」では、インタビューの場合、インタビュー項目や対象企業の情報、日本の社会状況などを把握し、どのような情報を聞き出せるかを下準備します。そこで情報を整理し、予測する力がつきます。そして、実際にインタビューを行い、人事部の方とお話をします。度胸がつきます。そこでは、あらかじめ準備した項目のみならず、相手とのやり取りを通す中で「こんなことを聞いたら面白いのでは」と自分で考えていきます。そして、それをレコードし、後で聞き返して、ほかの企業とすり合わせながら分析していきます。そして、適切な形で、分かりやすいように報告書に収めていきます。データ分析の場合、まず本などの情報をもとに仮説を立てます。そして実際に分析して結果を出します。結果が自分の思うようにいかなかったら、また根本から考え直し、再チャレンジします。そして、毎週のように自分の研究報告をプレゼンし、ダメだしを受けながら改善していきます。こうして分析を続け、見やすい形で報告書に収めていきます。これらの内容はチームで行うことも多く、協力していくことが大切になってきます。

「ゼミ」のディスカッションでは、自分でロジックを組み立て、意見を発信する力が付きます。そして、個人研究では、自分が何をしたいのかをまずはっきりさせます。そして、文献を読み、多くの考えを取り入れます。そこで、「こういうことが分かるのではないか」と仮説を立て、どのように調査できるか、計画を立てます。そして卒論前になれば、実際に足を運んで、調査を行い、分析し、仮説を再考します。

こう長々と書きましたが、何が一番身についたかというと、

主体性

であると思います。指示はある程度は与えられますが、自分で考え、計画し、行動する、というスキルが確実に身につくのです。

大学の授業は講義形式が多いですが、そこではこの「主体性」は学べません。僕はこの学科だからこそ成長できた部分であると思っています。

つまり、名古屋大学社会学研究室では、自分を磨く、ということが可能なのです。

 

そして大学3年生では、ゼミを2つ選択し、より自分の知見を深めていきます。

大学4年生では、就活と並行して、卒業論文の執筆にあたります。いわば調査実習で行ってきたことを、全部1人で行います。大学の集大成にふさわしいイベントです。

 

名古屋大学社会学科、どうでしょうか。高校までの勉強は「与えられたもの」をこなせばよかったのですが、名古屋大学社会学研究室では異なります。常に自分の「主体性」が可能性を広げていくのです。

そして、この中には人が成長するためのすべてのスキルが凝縮されている気がします。

 

よく「社会学って何やるの?」と言われますが、それは人によって答えが変わります。自分の価値観、正義感に従って、やりたいことができるのです。僕だったら、今は「転職」です。何だか人生の目的を探すことにもつながっている気がします。

この記事が進路で迷っている学生の少しでも役に立てればと思います。

 

それではまた。

ふみひろ

このブログについて

自分の大切なものを、大切にしたいブログ。へようこそ。

 

管理人のふみひろです。

名古屋大学文学部社会学科3年生で、現在コペンハーゲン大学に留学しています。

趣味は、野球観戦、読書、食べることです。

このブログのタイトルは「自分の大切なものを、大切にしたい」です。

皆さんが大切にしたいものは何でしょうか。

自分、家族、友人など、様々な答えがあると思います。

大切なものを大切にするって当たり前なことに見えますが、まず「大切なもの」は人によって違いますし、「大切にする」って、強い意志がいることだと思って、社会に振り回されると、なかなか簡単にはできないと思うのです。

このブログでは、僕自身の大切なものを発信していくことで、皆を刺激し、アイデアを共有したいと思います。そして、批判的なコメントをくださると、すごくうれしいです。議論ができれば良いと思っています。

そして、僕のみならず、読者の方も新しい発見ができることで、このブログの意義が生まれると思います。

皆さんでこのブログを作り上げていきましょう!

テーマは、とにかく色々です!(差別化戦略になっていませんが…)

メールもたくさんお待ちしております。メールアドレスyamafumithat2@gmail.comまで。

ブログ初心者ですが、どうぞよろしくお願いします。